衆院北海道10区で公明候補が敗れた。2012年自公連立政権の復活以降、5期連続で公明が野党を破り、道内で唯一、小選挙区での公明議席を維持してきた10区。毎回のように、時の首相ら重鎮が応援に駆けつける自公選挙協力の象徴区だった。しかし、今回はその関係にほころびが生じていた。原因は10区を地盤とする有力な自民候補の比例順位だった。
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「まあ仕方ない。党の決定に従うまでだ」
公示日前日の10月14日午後8時、自民の比例道ブロック単独候補だった渡辺孝一氏(66)は、事務所で夕方から党本部の連絡を待っていた。そして、届いた一枚の紙を見て、冒頭の言葉を絞り出した。
手元にあったのは自民比例名簿。比例単独で当選4回を重ね、現職の総務副大臣でもある渡辺氏の名簿順は12位だった。12位は事実上の落選が決まったことを意味する。党本部からの電話はなく、名簿が書かれたファクス1枚だけ。「寂しい思いはあるよ」。そうつぶやきながら、渡辺氏は「あしたの第一声、行かない方がいいかな。おれがいたら水差すようで空気が悪くなる。公明党に確認してくれるか」と、秘書を呼んだ。
渡辺氏が気遣ったのは、公明候補の稲津久氏(66)だ。公示日の第一声で、渡辺氏は稲津氏の応援演説をすることになっていた。自公選挙協力を有権者に示す儀式のようなものだ。
渡辺氏は第一声に姿を見せた。しかし、その場にいた岩見沢市幹部は聴衆を見て、「いつもより自民の農業関係者、少ないなあ」と、感じていた。その直感が12日後、的中することになる。
その前に、10区の構図をお…